2012年2月23日木曜日

1.僕はファミコンを買ってもらえなかった。


これまで、何本かの格闘ゲームに携わらせてもらったのですが、その中でも思い出深いタイトルの開発の話と、私がゲーム業界に入るきっかけをくれた友人達の話です。
---------
80年代、小学生男子の話題と言えばファミコン一色。
ファミコンを買ってもらえなかった僕は、集まってゲームの話をしている同級生が羨ましくてしょうがなかった。

毎月15日に買ってもらえるコロコロコミックのゲームの記事を何度も何度も読み返して、新作ゲーム情報や攻略法だけはすごく詳しい、でも遊んだことはない。そんな小学校時代を過ごす。

中学生になってもファミコンは買ってもらえなくて、たまに町外れのボーリング場のゲームコーナーへ行って、少ない小遣いをアーケードゲームにつぎ込んだ。置いてあるゲームは古い物だったけれど、それでも夢中になった。

たまには週末に電車で30分くらいかけてデパートの屋上のゲームセンターへと足を運んだ。
そこにはワンダーモモに妖怪道中記、ストリートファイターといったゲームが続々と入って来て、子供一人で行ける場所では唯一新作ゲームが遊べる特別な場所だった。
特にRtypeというシューティングゲームにはまりずいぶんと遊び込んだ。

とはいえ、僕にとってゲームは身近にない特別な存在だったので、どちらかと言えば漫画やアニメにのめり込んでいく。
ただ、あの頃は、ビーバップハイスクールを読んでる連中が、聖闘士星矢のアニメを見てる連中をいじめるという構図があって、アニメ好きと言うのはあまり自慢できる趣味ではなかった。
ビーバップ勢は、本気で鼻に鉛筆つっこんでくるような連中だったからマジで怖かった。
そういうわけで、中学の時はアニメ好きをあまり表に出さず、テニス部に入りそれなりに健全な学校生活を過ごした。

そして、高校一年生。
ちょっとお金持ちの友人の家で遊ばせてもらったPCエンジンのRTypeに衝撃を受け、貯めていた小遣いを持ってその日の内に買いに走った。

ゲーム機を手に入れてからの日々はもうゲーム三昧。
部活もやらず、自由な時間は全部ゲームをしていたか、漫画アニメを見ていたかのどちらか。

同じくPCエンジンを持っている同級生とゲームの貸し借りをするうちに、同じ趣味の友人が集まるようになる。
僕の家の離れ小屋が遊び部屋に解放してあって、持ち寄ったゲームや漫画がずらり。僕がいようがいまいがおかまいなしに友人達がやってきて毎日かかさずゲーム漫画ゲーム。

PCエンジンは初期にソフトが少なくて、なんでもいいからゲームが欲しいからと買ってしまった遊々人生から始まり皆でとにかく集めまくった。特に対戦や多人数でやるゲームが多くて、パワーテニス、ファイアープロレスリング、桃鉄等々、はまったタイトルをあげるときりがない。

集まると必ず遊んだのがモトローダー。このゲーム、最初のステージでほぼその後の結果が決まってしまうのだが、みんなノーミスでクリアしてしまうので、ゴール直前でわざとスピードを落として、画面端からワープするテクニックで逆転を狙ったりととにかく熱い。

ディープブルー海底神話というシューティングは、敵が突進しかして来ないゲームで、クリア不可能ではないかと思う難易度。みんなクソゲーだとわかっていたが、その理不尽な難易度が逆に楽しくて、どのステージまで行けるかを競いあった。とにかくどんなゲームだろうが、遊び方を見つけてとことん遊び倒した。

PCエンジンとメガドライブは友達とソフトの持ち寄りをしていたので初期のソフトはすべてプレイしていたと思う。ROMROMやメガCDも当然のように持っていたし、
修学旅行にさえPCエンジンを持ち込んだ。

家でゲームに遊び疲れると、息抜きにボーリング場のゲームコーナーへ遊びに行く。
当時はゴールデンアックスやファイナルファイトといったベルトアクションが流行っていて、ソドムをはめ殺したりデスアダーをはめ殺したりして誰が一番先に1コインでクリアするかをやはり競いあう。

子供の頃、ファミコンを買ってもらえなかった反動だろうか、
僕はとり憑かれたようにゲームにのめり込んでいった。

2.僕は卒業アルバムに写真が載っていない